もう10年以上外来に通院している
乳がんの患者さんがいます。

彼女はバリバリのキャリアウーマンであり
かなり仕事もできました。

ところが乳がんになったことで
奈落の底に突き落とされたのでした。

乳がんの手術は無事終了、
特に転移もなかったので、
主治医からは大丈夫と言われていましたが、
それでも不安は募るばかりでした。

あれだけ前向きで積極的だった女性が
乳がんを機に、
将来の不安や死への恐怖に
押しつぶされそうな日々を送るようになって
しまったのです。

最初の数年は、
外来に来てもいつも再発のことを考え
不安だと言っており、
心配しても仕方ないとわかっていながら
どうしても考えてしまうと言っていました。

病気になる前の自分と比較してしまい、
悔しい思いでいっぱいになったり、
がんになったことで自分は負け組だと
思ってしまったりと、
ネガティブな思いが彼女を支配していたのです。

これは、不安の強い人や心配性の人の
典型的なパターンです。

しかし手術から5年が過ぎたころから
少しずつ変化が見え始めました。

不安かはまだあるものの、
その程度はだいぶ和らぎ、
がんのことを忘れて生活
できるようになってきたのです。

また、自分の生き方を振り返り、
仕事がストレスになっていたことにも気づき、
必要以上には仕事をしなくなりました。

自分は負け組だと思っていましたが、
これからの生き方いかんで
勝ち組にもなれるかもしれないという
思いも出てきました。

はやり不安を和らげるのには、
時間は大切な要素です。
また、5年という区切りも
患者さんの気持ちを切り替えるのに
よいきっかけになったと思います。

がんの手術から5年経って
再発しなければ大丈夫と
言われることがありますが、
乳がんの場合は10年後に
再発ということもよくあり、
あまり安心する根拠にはなりません。

でも、人は何か安心できるものを
求めているものです。

それは何でもよいのですが、
5年という区切りは
その意味では自分を安心させる
材料のひとつにはなると思います。

その後も少しずつ穏やかになり、
先日、術後10年目を迎えました。

最近はがんのことを考えることも
ほとんどなくなり、
自分ががんだったことも
忘れているときすらあるというのです。

それくらい、再発に対する不安が
なくなったということだと思います。

がんになるまでは
アクセルを踏みっぱなしの人生で、
ただがむしゃらにやってきましたが、
今は立ち止まって考えるゆとりが生まれ
ようやく人間らしい生き方ができるように
なったようです。

また、そのような変化に伴い、
感謝の気持ちも出てくるようにもなったと
しきりに言っていました。

ほんの些細なこと、
例えば、一人くつろいでいるときや
食事を作って食べているとき、
散歩に出かけて木々を見ているときなどに
「ありがたいなあ~」という感謝の気持ちが
自然と湧き上がってくるというのです。

バリバリ仕事をしていた時は
ゆっくりする余裕もなかったし
感謝の気持ちをもつことなど、
全くと言ってよいほどありませんでした。

ところががんになり、
死の恐怖に直面する経験を通して、
今生きていることそのものに
喜びを感じるようになり、
何気ない一日を過ごせることに
ありがたいと思えるようになったのです。

人はこうして変化していくものなのです。
時間の流れの中で、
自ずと変わっていくものなのです。

辛いことや苦しいことは
人生の中で何度となくあります。

でも、それは長い目で見れば、
必ずしも悪いことではなく、
本来の生き方に気づき、
自己を成長させるきっかけになる
存在でもあるのです。

また、そのように変われる力、
つまり「心の治癒力」を
人は誰でも持っているのです。

この患者さんを通して、
「きっかけ」の大切さと、
「心の治癒力」の偉大さを
あらためて感じずにはいられませんでした。