ブログ:西田さんと福岡君②
前回の続きです。
先ずは時間の話ですが、
これはなかなか難解です。
私たちが物理で習う時間や
今3時ですという時刻は
その瞬間瞬間を表すものです。
また今現在と過去、未来は
当然別のものだという認識を持っています。
ところが西田哲学では、
「今」とは、
過去と未来が同時に含まれた
「流れ」だというのです。
このことは、動的平衡を理解するうえでも
大切な事であり、
そのように考えないと、
生命は生きていくことが
できなくなってしまうのです。
この意味、わかりますか?
私は最初、全く理解できませんでしたが、
何度も読んでいるうちに
少しずつ理解できるようになってきました。
つまり、こういうことです。
動的平衡を維持するためには、
例えば合成と分解を
同時に行い続ける必要があると言いましたが、
実際には分解への第一歩を踏み出すと同時に
合成作業も始まるという状況になっています。
これを福岡氏は「先回り」と言っています。
すべての物質は時間とともに乱雑さを増す方向に
変化するという物理法則があります。
水の中にインクを一滴落せば、
それは時間とともに拡散していきますが、
これが「乱雑さが増す」ということです。
物質でできている生命もその例外にもれず、
野菜は時間が経てばやがて腐り、
コーヒーも時間が経てば冷たくなるように、
生物の細胞も何もしなければ分解され、
いずれは死んでしまうのです。
しかしそれでは生命は
生き続けることができません。
それを防ぐための仕組みが
生物には備わっています。
それが「先回り」なのです。
つまり、自然と壊れたり分解されたりする前に、
あえて分解するという作業をすることで、
「乱雑さの増大」を外部に捨てているのです。
その一方で、合成作業も同時並行で行われ、
物質は補完されるため
結果として「乱雑さ」は増大せずにすみ、
生命は生き続けることができるのです。
まさに自転車操業のようですが、
そのような働きにより
生命は維持されているのです。
そして、この「先回り」のことを考える際には、
「時間」に対する新たな考え方が
必要になります。
分解と合成は同時に行われていますが、
分解するという作業の方向性には、
「未だ来たらざるもの」、
つまり「未来」がそこにはすでに
存在しているからこそ、
分解しても秩序を保った状態が
維持できるのです。
なんの方向性もなく勝手に分解してしまったら、
当然、生命は死んでしまいます。
ですから、分解という作業をする
「今」という瞬間には、
「未来」という方向性が含まれているのです。
また、生命が生きているということは、
そこには、今まで生き続けてきたという
歴然たる事実が存在しています。
それはまさに、生命の秩序を保ち続けたという
「過去」の積み重ねが
あったからこそだと言えます。
このように「先回り」という作業の瞬間には、
「未来」が含まれると同時に
「過去」も含まれており、
そこには「流れ」という動きがあるのです。
つまり、「今」という時間は、
「過去」と「未来」を含んだ「流れ」であり、
現代物理学が言うような
流れや動きのない単なる瞬間ではないのです。
西田哲学の視点からは
動的平衡における「先回り」を
このようにとらえることができます。
ところが西洋哲学や現代科学は、
時間をこのようには理解していません。
「今」という時間は、
あくまでも、今この瞬間のことであり、
その瞬間の積み重ねがあるだけだととらえます。
つまり過去や未来へとつながる
一連の流れとしての「今」ではなく、
あくまでも、ある瞬間という
「止まった時間」としての「今」なのです。
もう少し日常の中で考えてみましょう。
例えば抗菌剤(抗生物質)の開発をする場合、
「今」存在する細菌に対する薬を開発するのですが、
抗生剤を使い続けることにより
それが効かなくなる耐性菌が出てくることは
念頭にありません。
耐性菌が出現してきたら
それに対する抗菌剤をまたその時に開発するという
「今」の視点しか持ち合わせていないのです。
新型コロナウイルスに対するワクチンも同じで、
ある止まった時間における「今」の視点で
ワクチンが開発され、
あらたに変異種が出現し、
従来のワクチンが効かなくなれば、
その時にまた「今」の変異種に対する
ワクチンを開発すると言うのが
現代科学の考え方です。
つまり、過去や未来が
「今」とつながっているという視点が
欠如しているのです。
話を「先回り」に戻しますが、
ここにはもうひとつ重要な視点があります。
それは、「先回り」することで
時間を前に進めている、
つまり時間を生み出しているという考え方です。
これもなかなか理解しにくいところです。
時間は自然に流れるものであり、
作り出されるものではないと
思っているからです。
しかし、動的平衡における「先回り」では、
時間という観点から見ると
時間を作り出している作業でもあるのです。
どういうことかというと、
「先回り」という細胞の反応は、
生命が生き続けるために必要不可欠な営みです。
その瞬間、過去と未来を含んだ
「今」があるのです。
すでに未来を含んでいるということは、
「先回り」という営みが未来という時間を
作り出す必然性を持っているということです。
物理学でいう時間の概念と、
実在する生命の中で生じる時間とは
全く違うものであると西田哲学では言っています。
物理学でいう時間は、
単なる瞬間瞬間の連続というとらえ方であり、
あくまでも観念的なものです。
福岡氏の場合は、
物理学でいう時間ではなく、
西田哲学でいう時間論に基づいて
「先回り」が時間を生成するという考え方に
たどり着いたのです。
この辺りは、生命の営みという
現実の中で起こっていることなのですが、
どうしても哲学的な話になると、
なかなか理解がついていかないところがあります。
今回のブログは、
あくまでも私の理解の範疇で書いたものなので、
どこまで正確なのかはわかりません。
その点はご了承下さい。
興味のある方はぜひ、
本書「福岡伸一、西田哲学をよむ」を
読んでいただけたらと思います。
私は現在、本書を半分まで読みました。ここまで流し読みする余裕を与えられない本は久しぶりです(ある意味スリリングです)。
私はどうしても心理学的な視点から考えてしまうのですが、たとえば、不安や心配という心の働きは、”乱雑さの増大を避けるための先回り”ととらえることができるように思います(不安や心配も生命の営みの一つという意味で)。
ところが、それらが過剰になると、余計に乱雑さが増大するという矛盾を来たします。
そこでカウンセリング的には、一旦「今ここ」に重きをおくことが推奨されるのですが、それはそれで、「今」だけを切り取りそこに注目し過ぎることは、生命的には不自然な(無理がある?)営みだとも考えられます。
この辺りのバランスをどうとるかを細胞の立場から考えてみる、いう意味でも示唆的な本だと思いました。
コメントありがとうございます。
不安や心配が乱雑さの増大を避けるための先回りというアイデアは斬新ですね。
また「今」の視点も同感です。またディスカッションしましょう。