ブログ:ブラックボックス
よく、本当の自分って何だろうとか、
なぜ自分はすぐに人に頼ってしまうのだろうかと、
自分の心の正体を知りたいと思っている人は
少なからずいます。
これは精神分析的な発想であり、
「人はなぜ悩むのか」といった
哲学的問題を考えるのが好きな人にとっては
心惹かれるテーマかもしれません。
しかし、結局のところ、
心の中身はブラックボックスであり、
どうなっているかなどわからないのです。
そうは言いながらも、
仮説や物語を作ることは可能です。
例えば、恋愛をしても
いつもうまくいかない女性がいたとすると、
その女性は小さい頃、
母親から愛されているという思いがなく、
そのため、自分は母親の愛情に飢えており、
それが愛情への過度な依存状態を生み、
結局、恋愛がうまくいかなくなるといった
解釈をすることは可能です。
しかしこれはあくまでも、
ひとつの仮説や解釈、物語に過ぎず、
事実でも真実でもありません。
実際、思いや価値観が形成される過程において、
両親の影響のみならず、
友人や教師、同僚、先輩、後輩、
また良くも悪くも
インパクトのある人との出会いなど、
どれもみな自分の心に大きな影響を及ぼします。
さらに、様々な体験や出来事、学んだ知識、
生活環境や社会環境、時代、文化といった
ものもからも影響を受けながら
人の心は少しずつ変わっていったり、
何かをきっかけに突然変わったりするです。
もちろん持って生まれた性格や気質、
身体的、遺伝的要因も関与します。
このような様々な要因によって作り上げられた
自分の思いや考え方、心の状態のすべてを
理解することなんて到底不可能です。
では理解できないからと言って、
その人の悩みや問題は解決できないのかと言うと
そんなことはありません。
心の中身はブラックボックスであり、
中身の構造はわかりませんが、
それでも、ある刺激をすれば、
それに応じた反応は返ってきます。
つまり、こちらから何かを投げかけ、
その反応を見れば、
ある程度のパターンは見えてきます。
例えば戦国時代の歴史の話になったら、
目を輝かせて話し始めたとか、
食べ物の好みの話をしていたら、
実は料理が趣味だと教えてくれたりとか、
相手の反応を見ることにより、
ある程度のことは理解できます。
そんな話を膨らましていくことで
相手がだんだんとその気になり、
歴史雑誌に投稿するようになったり、
料理研究家の道を歩むようになることだって
あるかもしれません。
そうなれば、今までの自分の悩みや問題は、
相対的に小さくなり、
そのうちどうでもよくなってしまうことだって
十分にありえることです。
つまり、ブラックボックスである心は
中身を解明することはできませんが、
刺激に対する反応に対応することで、
悩みや問題を解決することは可能なのです。
これは心だけではなく、
身体にも同様のことが言えます。
西洋医学で病気の治療をする場合、
その原因を突き止め、
それに対する適切な治療をすることで
病気を治すという考え方が基本にあります。
がんや肺炎などのように、
原因を突き止め、それを取り除く治療が
必要な病気もそれなりにありますが、
しかし外来を受診する8割の患者さんは
実はそうではありません。
例えば風邪ウイルスでもインフルエンザでも、
今はやりの新型コロナウイルスでもよいのですが、
それに感染すると多かれ少なかれ
咳や発熱など、何かしらの身体症状が出てきます。
その場合、ウイルスの種類を特定し、
身体のどこにどれくらい存在しているのか、
今どこまで広がっているのかといったことを
事細かく調べることなど不可能です。
またウイルスを殺す薬も存在しません。
(抗ウイルス薬は広がりを抑えるだけです)
ではなぜ治るのかと言うと、
身体に備わっている防衛機制、
つまり免疫細胞などの働きによって
最終的にはウイルスは駆逐され、
それによって病気は治るのです。
いわゆる自己治癒力の働きです。
その仕組みについては
医学的にもある程度は解明されていますが、
しかし、まだよくわかっていないことも
たくさんあります。
つまり、身体の中で起こっていることも
ブラックボックスの中での出来事なのです。
何が起こっているのかわからなくても、
それでも多くの病気は、
自然とよくなっていくのです。
がんや生活習慣病の場合でも、
十分な栄養を摂り、適度な運動をし、
質の良い睡眠を取ったりすることで、
多くの場合、それらを予防することが可能です。
しかし実際には身体の中で起こっている
詳細なメカニズムは不明です。
この場合も、食事や運動という刺激に対する
身体の反応の良し悪しで、
それがよいのか否かを判断していると言えます。
心も身体も中で何が起こっているのか、
どんな仕組みになっているのかわからなくても、
外部からの刺激による
気分や体調の良し悪しを見れば、
何をしたらよいのかの判断は、
ある程度することは可能なのです。
心も身体も所詮ブラックボックスです。
ある程度の仕組みを知ることは可能でしょうが、
それを突き詰めようとすると、
どこかで行き詰まることになります。
そんなときは少し視点を変えて、
実際の反応に目を向けてみるのは
いかがでしょうか。
「〇〇できたのは、どんな時がありましたか?」という質問は、「刺激-ブラックボックス-反応」のうち、ブラックボックスの中をあれこれ分析するのではなく、反応(〇〇できた)を引き出した先行刺激(どんな時・何をした時)に注目している、ととらえることができるのかな、と思いました。
ホリスティックコミュニケーションは、質問という刺激をし、答えてもらうという反応の繰り返しです。心をブラックボックスととらえています。