ブログ:Zoomとリアル①

新型コロナウイルスの影響で、
しばらく人を集めた形でのセミナーが
できませんでしたが、
先週、久しぶりに福岡でリアルセミナーを
開催することができました。

また、私の大好きなプロレスも
ようやく人を入れて開催されるようになり、
先日、大阪城ホールに足を運んで
観戦してきました。

そこで感じたのは、
やはり映像を通してではなく、
実際のかかわりの方が、
圧倒的に伝わるものがあるということです。

なぜZoomとリアルとでは
こんなにも違うのでしょうか。

以前このブログでも、
Zoomの違和感について書きましたが、
その後もZoomを通しての
講演やカウンセリングも経験したので、
そこで感じたことも含め、
この違和感の正体を探ってみたいと思います。

そもそも、
講演や話し合いをZoomでしたとしても
ある程度目的は達成できると思います。

ただここで見落とされがちなことがあります。
それは演者も聴衆も会議のメンバーも
Zoomとリアルとでは、
明らかに思考や感情、気分に及ぼす影響が
異なるということです。

例えば、人が私の講演を聴く場合、
私自身だけを見ているわけではなく、
私が置かれている周囲の空間や環境も含め、
それらをセットにして見ています。

つまり全体の中の部分としての存在である私を
見てくれています。

一方、Zoomでは周囲の存在は無視され、
「私」という存在をだけを切り取って見ています。
おまけに三次元ではなく二次元としての情報です。

このように、
リアルで周囲とのセットとして私を見るのと、
Zoomで部分の「私」だけを見るのとでは、
脳に入ってくる情報やメッセージに
雲泥の差が出てきます。

これは、美しい風景だと思って、
その写真を撮っても、
たいていの場合は、
平凡な風景写真になってしまうのと同じです。

周囲を含めた全体の風景をセットで見るのと、
一部の風景を切り取った写真で見るのとでは、
全く別のものになってしまうのです。

スポーツ観戦も同じです。
テレビで見るのと実際に見るのとでは、
その興奮度は明らかに違います。

それは、全体の中で部分を見ているリアルと、
部分だけを切り取って、
それを見ているテレビとの違いが
そのまま反映されているからです。

全体とのつながりがあるからこそ、
部分は輝くのであり、
部分だけを切り離してしまうと、
そのよさが十分に反映されず、
喜びや興奮も半減してしまうのです。

ドラマでも、主役さえいれば、
わき役は不要かと言うと
決してそんなことはありません。

逆にわき役がいるからこそ、
主役の存在がさらに輝いてくるのです。

ですから、主役だけを切り取って見せるZoomと、
わき役も含めた全体を見せるリアルとでは、
全く感じ方が異なるのです。

それはそのまま講演の演者や聴衆の
緊張感やモチベーションにも影響してきます。

特に演者のモチベーションには、
かなり大きな違いが出てくる気がします。

だからこそZoomの場合は、
少し意識的に元気を出さないと
なかなかよい講演ができないのかもしれません。

また、講演であれスポーツ観戦であれ、
本人を実際に見られるというトキメキ、
さらには、その人と同じ空間に
自分もいるという感覚がリアルにはあります。

聴衆やお客さんからすれば、
それだけで高揚感があります。

有名人や憧れの人の講演会でも、
直に目の前で見るからこそ喜びがあるのであり、
映像を通して見るのであれば、
テレビや映画で見るのと同じです。

Zoomも映像を通してのかかわりになるので、
直接、会場で会うのとでは、
喜びも感動も緊張感も
全く違ってくるのは当然のことです。

私たち現代人は、
合理性や効率化を追い求める傾向があります。
そのため、不要なものや不便なものは
みんな切り捨てられてしまいます。

しかし、不要、不便だと思われるものの中に、
実は大切なものがあるのではないでしょうか。

Zoomという効率的な手段が一般的になり、
遠方の人でも簡単に講演などに
参加できるようになりました。

しかし、その一方で、
時間と労力を使ってでも
実際の講演やコンサート、スポーツ観戦に
足を運ぶことでしか得られないものも
あるのではないかと思うのです。

久しぶりに実際のセミナーをして
そんなことを感じました。

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