ブログ:泥酔物語

今回のブログもお遊びです。
暇で暇で死にそうと思っている方のみ
お読みください。
何の役にも立たないこと請け合いですので。

私は、何もない休日は、
よく一人で昼飲みをしています。
昼飲みは、文庫本を片手に
時間を気にせずゆっくり飲めるので結構好きです。

ときには仲間を誘って、
みんなで一緒に昼のみ会をすることもあります。

緊急事態宣言が出される前にも、
いつものように仲間と一緒に
京都で昼のみ会をしました。

話が盛り上がるとつい飲みすぎてしまい、
知らず知らずのうちに泥酔モードに突入し、
最後はどうやって帰ったか覚えていないというのが
お決まりのパターンです。

その日も御多分にもれず記憶がなくなり、
気がついたときには
自宅の布団で朝を迎えていました。

どうやって帰ってきたのだろうかと、
思い出そうにも全く思い出せません。

もっとも、記憶がないと言いながらも、
実はうっすらと
タクシーに乗った記憶があったのです。

実際、ポケットから15,000円超えのレシートが
出てきたことからも、
その記憶が事実であったことが
裏付けられました。

多分、京都から自宅がある彦根までタクシーで
帰ってきたのだろうと推察しました。

その日はいつものように朝4時過ぎには起床し、
普通に仕事に行きましたが、
やはり先日のことが気になったので、
夜、家に帰った際、
恐る恐る妻に、先日の様子をたずねてみると
とんでもない事実が発覚しました。

京都からタクシーに乗ったのはよいのですが、
どうも、昔住んでいた比叡山坂本へ行くように
運転手さんに言ったみたいでした。

ちなみに今住んでいる彦根は
琵琶湖の東、つまり湖東の北側であり、
比叡山坂本は湖西の南になりますから、
琵琶湖を挟んで全くの正反対の場所です。

タクシーで比叡山坂本に着いても、
当然、私の家などあるわけがありません。
帰る場所がわからなくなった私は
どうも、妻に電話をして、
自分の家はどこなのかと聞いたみたいです。

電話でのやり取りを聞いていた
タクシーの運転手さんも、
これでは埒が明かないと思ったのでしょう、
結局、妻と運転手さんが
直接電話でやり取りをしたようです。

その結果、そのままタクシーで
JR守山駅まで行くことになり、
妻はそこまで車で来て、
私を拾って持ち帰ることになったようです。

そう言えば妻の車に乗った記憶も
話を聞いてなんとなく思い出しました。

タクシーで昔の家に行ってしまったなんて
初めてのことです。
なぜ「比叡山坂本」と言ってしまったのか、
今となっては真相は闇の中です。

もっとも通常、私は泥酔しても、
たいていは電車に乗って、
何とか家まで帰ってきます。

過去には、
電車で乗り越してしまったため、
反対の電車に乗って戻ろうとしたら
また乗り越してしまい、
再度、電車を乗り換えたところ、
再々度、乗り越してしまい、
それで結局、最終電車がなくなり、
仕方なくタクシーで帰ったということもありました。

この時も、だいぶ電車で往復はしたものの、
最後は家にたどり着きました。

もっとも諸事情により、
うまく家にたどり着けなかったこともありました。

つい最近のことですが、
電車で乗り越して終点の米原駅まで
行ってしまいましたが、
すでに最終列車はなく、
またタクシーもありませんでした。

仕方なく、妻に迎えに来てもらおうと
電話をしたのですが、
案の定、居留守を使われ、
電話に出てもらうことができず、
結局、米原駅の近くのホテルに
泊まることにしました。

朝方、妻から電話があり、
「今、一体どこにいるの!!」と
かなりお冠の口調でした。

多分、どこかの女性の家にでも
泊っているのではと思ったのでしょう。

私は「電話をしたのに出てもらえなかったから
米原でホテルに泊まったんやんか!」と、
自分が悪いわけではないと言わんばかりに
言い返しました。

その後、電車で最寄りの駅まで帰り、
妻に駅まで迎えに来てもらい、
無事、家にたどり着くことができました。

この時も近くまではちゃんと帰り、
路上ではなく、ホテルで寝たのですから、
私的には十分合格だと思っています。

そうは言いながらも、
もちろん、泥酔しないに越したことはありません。

もう年も年だし、
泥酔するまで飲むのはやめようと、
40歳になったとき、50歳になったとき、
そして60歳になったときに誓ったのですが、
なかなか実現できません。

次の70歳の誓いまで、あと10年あります。
今度こそは誓いを現実化できるように、
今から少しずつ練習を積み重ねていこうと
心に誓っている今日この頃です。

もっとも、わざわざあと10年も待たなくても
今すぐにでも取り組めばよいのではないかという
鋭い意見もありました。

この意表を突いた意見には、
さすがの私もハッとさせられました。
確かに次の10年まで待つ必要はないんだと。

しかし一方で、過去20年以上にわたり
取り組んできたにもかかわらず、
未だに実現できない私が、
はたして10年も満たない月日で、
うまくやれるのであろうかという疑問も
頭をもたげてくるのです。

ん~何とも悩ましい問題です。
今年も泥酔問題で何かと悩まされそうです。

全く役に立たないブログにお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。

    ブログ:泥酔物語” に対して1件のコメントがあります。

    1. たにやん より:

      とても勉強になったように思います。

      どんな状況においても自分の主張はきっちりしていいということ(相手の反応は別として)。そしてきっちり主張するためには『仕方なく、、、泊まることに』という自身の行動に至った明確な理由付けが大切なんだなと思いました。どんな状況においても、観察したことと自分自身の気持ちとを実況放送するようにして行動決定していくのがコツなのでしょうか?もしくは自分が不利な状況にあるから主張してはいけないとの考え方が、人生において全く必要なかったのでしょうか?

      泥酔することはもってのほかと教えられてきました。
      がそのように教えた張本人は
      昔々その昔、泥酔したあげくお店やタクシーのなかで私の名前を呼びたくりました。お願い!頼むから私の名前を連呼するのはやめて!と心のなかで叫びながら体をかかえた記憶が甦りました。

      泥酔物語から
      どのような状況においても
      自分の見方は誰がする、
      自分がするしかないんだということを教わったように思っています。

      今後も泥酔問題は解決してしまわず時々連載して頂けると、勉強になると思います。。
      いつもためになるblogとってもありがたいです。

    たにやん へ返信する

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