ブログ:人間は煩悩の生き物

医学部の学生が国家試験を終えると、
発表までの約一ヶ月間は長い休暇になります。
学生実習のときに私のところに
二人の男子学生が来ていたのですが、
とても気があったので、
実習期間中も時々飲みに行きました。

実習の最終日に、国試が終わったら、
また一回飲みに行こうと約束をして別れました。

そして先日、国試が終わり、
自己採点でも合格したと思うとのことだったので、
その後、久しぶりに三人で一緒に飲むことにしました。

一人はその当日までの三日間、
山中の寺にこもり座禅を組みながら
精進料理を食べて過ごしていたというのです。
話を聞いてみると、昔から座禅が好きで
時々座禅を組みに行くとのことでした。

座禅を組むと自分を振り返ることができ、
身も心を洗い清められるような気がするのだそうです。

私は「三日間もストイックな生活をしていたのだから、
今日くらいはパーッといこうか」と言うと、
「そうですね」と言いながら、
串カツとビールで上機嫌になっていました。

その日は夕方6時近くから近くの居酒屋で飲み始め、
結局11時過ぎまで飲んでいました。
彼は思いのほか楽しかったのか、
結構ぐてんぐてんになっていました。

後日もう一人の彼からメールが来きて、
彼を家までちゃんと送り届けたとのことでした。
その後泥酔した方の彼からもメールがあり、
後半の記憶は全くないとのことでした。

人は、がんばったあとは
つい自分にご褒美をあげたくなるものです。
彼の場合、身と心を清めようと?
三日間もお寺で過ごしていました。
三日間も禁欲的な生活をしていたのだから、
今日くらい自分を解放してあげてもいいだろうというと、
そんな気持ちになったのでしょう。

せっかくの三日間の禁欲生活も
たった5時間の煩悩生活で
チャラになってしまったような感じです。

でもチャラになったと言っても、
座禅も組まず、飲みもしないよりは
いいのではないかと私は思っています。
人は結果よりも過程が大切です。
座禅を組んだという経験も泥酔をしたという経験も
ともに大切な経験なのです。
せっかく清らかになった身と心が
また穢れてしまったとしてもそれでよいのです。

もっとも私なんか、
山にこもることもなくしばしば泥酔していますので、
どんどん身も心も穢れていくばかりです。
それでも何とかやっています。
人間なんてそんなもんじゃないでしょうか。
煩悩の生き物なのですから。

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