私が医者になった頃と現在とでは、
医療の考え方もだいぶ変わってきました。
その中のひとつが、
「蘇生行為はしない」という意思表示を
医者が確認するようになったということです。

蘇生行為とは、わかりやすく言えば
人工呼吸器や心臓マッサージなどをして、
心肺停止の患者さんを
蘇生させるための行為のことです。

近年は、急変の可能性が高い患者さんの場合、
本人や家族に、蘇生行為をするか否かの確認を
事前にするのが普通です。

医療現場では、
患者さんが、自分は蘇生行為を希望しないと
意志決定をした場合、
医療者の誰が見てもわかるように
DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)と
カルテの表紙に明示するのが一般的です。

こうすることで、患者さんの状態が悪化し、
心肺停止の状態に陥ったとしても、
事前の意思表示が明確になっているので、
慌てることなく、静かにそのまま
最後を看取ることができます。

一方、私が医者になった頃(約30年前)は、
このような意志確認を
患者さんや家族にすることなく、
どんな状態であれ、必ずと言ってよいほど
心臓マッサージなどの蘇生行為をしていました。

ですから、がん末期で状態が悪化し、
心臓が止まりかけると、
もうどうしようもないとわかっていても、
「形式的」に心臓マッサージをして、
それでも蘇生しないことを確認した上で、
家族に「ご臨終です」と伝えるのが常でした。

心臓マッサージをする際は、
結構、激しく胸骨を圧迫するので、
骨が折れることもしばしばです。

そんな状態を家族に見せるわけには
いかないという思いから、
心臓マッサージをする際には、
いったん家族は部屋の外に出てもらいます。

そして、心臓マッサージを行い、
にもかかわらず蘇生しなかった旨を
家族に伝えに行きます。

家族が部屋に戻ると、
ベッドに横たわっている、
すでに亡くなっている患者さんの姿を
家族は見ることになります。

このような対応に対して、
一度、家族にひどく怒られたこともあります。
なぜ、最後の息を引き取る瞬間に
傍にいさせてもらえなかったのかと、
泣きながら、かなり激しく抗議されました。

今思うと、言っていることは
当然のことだと思いますが、
当時は、どんな状態であれ、
とりあえず(たいていは形式的に)
心臓マッサージをするというのが
暗黙のルールでした。

それが、やるべきことはやりましたという
証にもなっていたのです。

しかし時代は変わり、
そのような意味のない行為はやめよう、
患者さんや家族に意志をもっと大切にしよう
という思いが医療の中にも生まれ、
現在のように、患者さんに
DNARの確認を取るということが
一般的になってきました。

これは、医療における大きな変化です。
末期がんの患者さんで言うならば、
最後は蘇生行為をするのが前提であったのが、
今では蘇生行為をしないのが
前提になったのですから、
180度変わったと言うべき変化です。

ただし、医者の方が、
DNARの確認を取らない限り、
患者さん自らが、
最後の蘇生行為はしないでくださいと
言ってくることはまずありません。

そのため、医者が確認を取る必要があります。
もしも本人や家族から
DNARの確認を取っていないまま、
いざ心肺停止したときに、
意味のない蘇生行為を
せざるをえない状況にもなりかねません。
だからこそ、DNARは
事前に取っておく必要があるのです。

そうは言いながらも、
実はここにもたくさんの微妙な問題が
存在しています。

末期がんの患者さんであれば、
たいていの人は、
最後の蘇生行為など希望しないのですが、
悪いとはわかっていながらも、
まだ死にたくないと思っている患者さんや、
比較的元気な末期がんの患者さんなどは、
自分の死を受けとめるだけの準備が
できていないこともしばしばです。

ましてや、一般の患者さんの場合、
自分が心肺停止になったときには、
蘇生行為をしないで下さいという意志表示など
果たしてできるのでしょうか。

心筋梗塞にせよ、くも膜下出血にせよ
蘇生行為により命を取り留め、
その後何年も日常生活を送っているひとは
いくらでもいます。

そんな状況を思い浮かべると、
無条件に蘇生行為は望まないと
言い切れなくなってしまうことも
十分にあり得ます。

また、本人は蘇生行為を
望んでいないにもかかわらず、
家族が絶対に蘇生行為をして欲しい、
絶対に死んでもらっては困る!と、
半ば意固地になって言い張る場合もあります。

何でもそうだと思いますが、
現実の世界は、
曖昧でグレーゾーンの部分も多く、
一見、単純そうに見えても、
よくよく考えると
実は複雑だということがしばしばです。

このDNARなどは、
その典型的な例のひとつだと思います。

皆さんも一度、自分は最後、
蘇生行為をするか否かということについて
考えてみてはいかがでしょうか。