前回紹介した「ジャムの研究」で有名な
シーナ・アイエンガーの著書に
「選択の科学」(文藝春秋)があります。
(今は文庫本も出ています)

私はこの本を読んで、
とても反省させられたことがありました。
それは人の生死にかかわることについて
家族に選択をゆだねることについてです。

緩和ケアの場合、
食事ができない末期がん患者さんに
点滴や栄養を入れるか否かといったことを
家族の判断にゆだねることがよくあります。

もちろんその際には、
各々のメリット、デメリットを
十分に説明したうえで
最終的な決断をしてもらうことになります。

ただし、この選択には正解がありません。
点滴や栄養を入れるということは
数週間、命を長らえることができる
可能性がありますが、
逆に、負担を強い、苦しむ時間を
長らえてしまうことにもなります。

また、点滴をしたり栄養を入れたりしなければ
確実に亡くなりますが、
家族は自分らの決断で、
命を縮めてしまったのではという罪悪感を
持つことにもなりかねません。

つまり、家族にしてみれば、
どちらにしても辛い選択を
迫られることになります。

一昔前の医療では、
家族の意向を聞くというよりも、
専門的な知識を持っている医者が
一番良い選択ができるという前提のもと、
医者主導で物事が決められていました。

ところが、今は患者さんや家族の思いを
大切にしようという考え方が主流となり、
何をするにも
十分な説明をしたうえで同意を得るという
インフォームドコンセントが
当たり前になっていますし、
患者さんや家族に決定権をゆだねる
インフォームド・チョイスという考え方も
出てきています。

ところが実際には、
点滴や栄養を入れるか否かといった問題は、
医者から十分な説明を受けても
選択するのが難しく、
家族もなかなか決められないという
現実があります。

自分らの選択により
患者さんを苦しめることになったり、
命を縮めることになったりするわけですから、
どちらを選んだとしても
これでよかったんだろうかという後悔の念が
残ることが少なくありません。

実は、このような選択に伴う
家族の精神的な負担について、
シーナ・アイエンガーらが2008年に
コロンビア大学で調査を行っています。

それによると、選択肢を示した上で、
医者自身が医学的に、
より望ましいと思われる方を
はっきりと示してあげることで、
困難な決定を下す家族の負担が
軽減できることがわかったのです。

このことは、私にとって衝撃的でした。
医療者側は常に客観的な視点から、
どのような選択肢があるのかを家族に説明し、
決定はすべて家族にゆだねるというのが
よいことだと思っていたからです。

でも、そのようなやり方が
家族に全責任を負わせ、
その決定に際して精神的、良心的重圧を
かけていたのです。

思い返してみると、決断に際しては
確かに家族はずいぶんと困惑していました。
また、決断をした後でも、
それが正しかったのかと、
何度もたずねられたこともありました。

私は、この家族に、
ずいぶんと負担を強いてしまっていたのだと、
今さらながらに気づいたのです。

もしも医者が、
「私は、何もせず自然のままで
見守ってあげることが最善だと思っています」
というひと言を付け加えた上で、
家族に選択を委ねていたら、
家族も「先生がそう言っているのであれば」と、
選択にかかわる精神的負担が
かなり減っていたのではと思います。

助からないとわかっている患者さんを、
このまま生きながらえさせることは、
家族の精神的な負担はもちろんのこと、
実際には、付き添いなどによる身体的負担や
入院費などに伴う経済的負担も大きいのです。

だからこそ、一日でも長く
生きていて欲しいという思いとは裏腹に、
心の片隅では、
早く亡くなってもらいたいという思いが
なくはないのです。

しかし、それを理由に、
点滴や栄養を入れるのを断ったとなれば、
後々まで罪悪感に苛まれかねません。

でも、医者がそう言っていたので、
私はそれに従って決断したということであれば、
たとえ、本音の理由が
身体的、経済的理由であったとしても、
罪悪感は確実に軽減されます。

もちろん、本当に点滴をして栄養も入れて、
一日でも長く生きて欲しいという思いを
強く持っているのであれば、
その意向に沿って医者も対応します。

人の生死にかかわる
選択困難な問題に対しては、
医者の意見もつけ加えてあげることは
家族の負担を軽くしてあげる上で、
とても重要なことなのだということを
私は「選択の科学」という本から
学ぶことができました。