心療内科医のときには、
よく「治療的自我」が大切と言っていましたが、
今は「治療的自己」という言葉が
使われているようです。

これが意味するところは単純で、
治療者自身が薬や治療になると言うことです。

つまり、患者さんの様々な病気や症状を
治療するにあたり、
薬や手術で治すという意識が強いのですが、
実を言うと、患者さんが治療者に対して抱く
信頼感や安心感、期待感といった思いが、
病気や症状を改善させているという側面が
かなりあるということです。

実際の医療の場面では、
治療者のかかわり方や対応の仕方、
雰囲気、態度、コミュニケーションなどにより、
患者さんの心の状態は大きく影響を受けます。

患者さんに安心感や信頼感をもたらすような
かかわり方ができる治療者は、
それだけで自律神経系や免疫系、
ホルモン系といった身体の状態に
よい影響を及ぼすことになります。

もちろんその逆もしかりであり、
患者さんに不安感や失望、怒りを
抱かせてしまうような関わりをすれば、
それだけで身体の状態に影響を及ぼし、
状態を悪化させてしまったり、
病気の治りを遅くさせてしまったりします。

その意味で、薬に勝るとも劣らず重要なのが
治療的自己、つまり治療者の関わりや態度だと
言われています。

ただし、この治療的自己という言葉は
「言うに易し行うに難し」の代表です。
身につけようと思っても、
そう簡単に身につけられるものではありません。

私自身、ある程度は実行していると
思ってはいるのですが、
それでも、患者さんによっては
ムッとしたり、勝手にしたらと
思うようなことはあります。

その意味ではまだまだだなと思っています。
結局のところ、
治療的自己を身につけるということは
自分自身をいかにコントロールできるように
なるかというところに辿り着きます。

先日の心身医学会での懇親会で、
九州大学総長の久保千春先生(男性です!)と
久しぶりにお会いしてお話しをしました。

久保先生は、私が九大心療内科にいたときは
講師という立場でした。

それがいつの間にか心療内科の教授になり、
医学部長になり、ついには九大総長にまで
なってしまったというすごい人です。

ところが、昔からそうですが、
全くおごったところがなく、常に謙虚なんです。
私のようなぺーぺーにも気さくに話をして下さり、
誰とでも分け隔てなく接してくれます。
こう言っては申し訳ないのですが、
カリスマ性や迫力といったものは何もありません。

それにも関わらず、今は九大全体の頂点に立つ
総長の立場にいるというのは、
まさに人格のなせる技だと思いました。

久保先生曰く、
自分でなろうと思っていたわけではなく、
みんなから押し上げられていつの間にか
上に上にと上がっていってしまったと言うのです。
確かにそれは理解できます。
そんな先生ですから。

そこで私がたずねてみました。
「先生はムッとしたり、
怒ったりすることはないんですか?」と。

すると、こんな返事が返ってきました。
「私は、毎日100回鬼になり、
100回仏になります。
ムッとなることはしばしばですが、
そのときに、この怒りは、
相手に対して有益なものか、
それとも自分を満たすためのものか」と
瞬時に自問するというのです。

この瞬時の自問が、
自分をうまくコントロールするための
コツだという言葉に衝撃を受けました。

このようなことは、
よく本には書かれているので、
その意味では目新しいものではなかったのですが、
一方で、こんなことができる人が
本当にいるのだろうかと
思っていたところがありました。

でも、久保先生の口からそのことを聞くと、
本当にできる人がいるんだと、
納得してしまう自分がいました。
久保先生とはそんな人なんです。

このように、
常に自分を律するという姿勢があるからこそ、
みんなから押し上げられ、
九大総長にまでなれたんだと思いました。

みんなから信頼され、
みんなから押し上げられ、
みんなから期待される存在である久保先生は
まさに、治療的自己を実践されている先生だと
思わずにはおられませんでした。

その根底には、セルフコントロール、
つまり自己を見つめ、自己を律することを
常日頃からしているという、
その姿勢には尊敬の念を禁じえませんでした。

心身医学会の懇親会に出席したのは
何年ぶりかでしたが、
久しぶりに久保先生と話をして、
とても有意義な時間を過ごすことができました。

私も少しでも先生に近づきたいものだと、
少しだけ心の襟を正した次第でした。