前回は、共感は必ずしも
しなければならないというわけではない
という話をしまいしたが、
今回はその話をもう少し進めさせて頂きます。

私は、共感について、意味がないとか
全く不必要だとかいうつもりは毛頭ありません。
共感できる話であれば、
当然、共感してもらったらよいわけです。

そもそも、共感することの意味や目的って、
何なのでしょうか。
それはクライエントと信頼関係を
構築することです。

ただ単に話を聴いてあげるだけでよいのであれば、
共感的な態度で聴いてあげる方が、
聴いてもらった感はあるので、
それでもよいかもしれません。

しかし私がクライエントの話を聴く場合、
相手は何かしらの悩みや問題を抱えており、
それを解決してもらいたいという思いから
やってくる場合がほとんどです。

つまり、目的は悩みや問題の解決です。
そのためには、セラピストはまず、
クライエントに信頼感を
持ってもらう必要があります。

ここで言う「信頼感を持つ」とは
どのようなことでしょうか。

それは、クライエントがセラピストに対して、
「この人は自分のことわかってくれた!」
と思ってもらえることが出発点であり、
その後のやり取りや対応を通して、
「何か、やれそうな気がしてきた!」と
思ってもらえるようになったならば、
クライエントはセラピストに対して
信頼感を持ってくれたと言ってもよいでしょう。

一度、信頼感を持ってもらえたならば、
その後のコミュニケーションが
とても取りやすくなるため、
クライエントの問題も解決に至る可能性が
かなり高くなります。

要するに、クライエントの話しを聴くというのは、
共感することが目的ではなく、
信頼関係を築き、
最終的には悩みを解決することが目的なのです。

極端な言い方をするならば、
共感なんかできなくても、
最終目的である悩みや問題が解決できれば
それでよいのであり、
共感は、あくまでもそこに至るための
ひとつの補助手段にすぎないということです。

例えば、セラピストが淡々と話を聴くだけで、
クライエントからすれば、
自分の気持ちなど、わかってくれているようには
思えないと感じたとしても、
もしそのセラピストから、
ハッとさせられるようなひと言や、
なるほどと感心させられるようなアドバイスが
もらえたとしたとしたならばどうでしょう。

「この人はすごい!信じられるかも!」と、
一気に信頼感が高まるのではないでしょうか。

共感はしてもらっているようには思えなくても、
自分の悩みについて真剣に考えてくれて、
的確なアドバイスをくれたり、
問題解決につながる気づきを
もたらしてくれたならば、
クライエントはそれだけで十分に満足します。

逆に、とても共感をしてくれたと
心底から感じていたクライエントが
「ところで、私は一体
どうしたらよいのでしょうか?」
という素朴な質問をしたとしましょう。

それに対して、
「そうですよね、どうしたらよいのか、
悩みますよね」とか、
「それは本当に、お悩みのことと思います」
などといった反応が返ってくるだけで
一向に問題解決へと
話が進んでいる感じがなかったならばどうでしょう。

「すごくわかってもらえたと思ったけど、
それって単にうわべだけのものだったんだ」と
せっかくの共感の感動も、次第にトーンダウンし、
最悪の場合、それが失望へと変わりかねません。

要するに、共感が大切なのではなく、
クライエントの悩みや問題が
解決へと向かうような対応ができることが
大切なのであり、それがクライエントの
最終目的なのです。

共感はあくまでも信頼関係を構築するための
ひとつの補助手段にすぎず、
必要不可欠な要素だというわけではないのです。

私は、「共感」をそんなふうに考えています。