よく傾聴や共感は重要だと言われます。
確かに、人の話を聴くことの大切さは
よくわかりますが、
しかし共感することの必要性については
正直言って、私はやや懐疑的です。

一般的に共感とは、相手が感じていることを
自分も同じように感じる状態のことを言いますが、
そこまでするのは現実的には不可能です。

たとえ、全く同じ体験をしたとしても、
感じ方は人それぞれ違います。
震災を体験したことのある人であれば、
その不安や恐怖の感覚は
同じ体験者であれば、ある程度は共感できますが、
全く同じということはありません。

つまり、相手が感じているであろうことに
思いを巡らし、
多分こんな思いなんだろうなと
自分なりに理解しながら
感じ取るというのが限界でしょう。

また、とても共感できないような
クライエントがいるのも事実です。

例えば、以前
A子さんという30代の女性がいました。
彼女はB男さんのことが大好きでしたが、
彼もきっと自分のことが大好きにちがいないと
勝手に思い込んでいました。

しかしB男さんは、彼女と面識はあるものの、
A子さんとプライベートで会ったことはなく、
ましてや好きでも何でもなく
逆にストーカーのように追いかけ回されることに
ひどく迷惑をしていると言うのです。

でもA子さんの主張は全く異なりました。
「B男は私のことを好きなのに、それを素直に
好きだと言えないだけ、私にはわかるの」
と言い張るのです。

そのうち、「もう追いかけ回すのは
やめてくれ」と、彼に強く言われると、
やがてA子さんの愛情は憎しみへと変わり、
「彼の家を見つけ出して火をつけてやる!」
とまで言うようになったのです。

さて、こんなA子さんの気持ちに
あなたはどれくらい共感できるでしょうか。
私は、共感できるか否かというよりも、
共感するつもりにもなれません。

では、共感できない、もしくは共感しなければ
A子さんとの信頼関係を築けないのかと言えば
そんなことはありません。

なぜならば、共感できななくても、
受けとめることはできます。
受けとめることができれば、
信頼関係を築くことはできるからです。

「A子さんは、彼が自分のことを
好きだと思い込んでいる、そんな人なんだな」
「自分の思いが叶わないと、
相手の家に火をつけてしまおうと思うような、
そんな人なんだな」

そのように、客観的な視点から
A子さんの話を聴き、
この人はそういう人なんだと、
「心」ではなく
「頭」で話を聞けばよいだけのことです。

そこに善悪や正しい、間違っているといった
価値観を持ち込んで話を聴いてしまうと、
「この人はおかしい」「そんなの妄想にすぎない」と
「心」が揺さぶられ、波風が立ってくるため
終いには怒りや疑問、嫌悪の感情を
抱くようになってしまうのです。

こうなると、もうクライエントと
信頼関係を築くことなどできません。

つまり、クライエントの話は
共感できそうなものであれば、
共感的に「心」で聴けばよいのですが、
共感できそうにない話にまで
共感する必要はなく、
ただ客観的に「頭」で、淡々と聞けばよいのです。

そうすれば、どんな話であったとしても
受容はできますし、そうであれば
信頼関係を築くことは可能です。
私が、必ずしも
「共感する」する必要はないというのは、
そういう意味なのです。