一般的な病気の場合、
必要に応じて原因に対処し、
あとは自然治癒力の働きに身を任せておけば、
通常の病気は治ります。

しかしその一方で、難病や末期がんのように
いかんともし難い病気があることも事実です。

病を、悪とか憎き敵という視点で見てしまうと、
難病や不治の病に対しては、
無力感や敗北感を抱かざるを得ません。

ただ、すべての人は最終的には亡くなりますし、
その過程でたいていの人は病気になり、
それが悪化し、亡くなくなることになります。

つまり、死という現実から
人は逃れることはできないし、
死は、生まれたものがいつか必ず迎えるとうのが、
大自然の摂理なのです。

時として、奇跡的に末期がんが
よくなったりするという現実があるので、
どうしても人は、
自分にもそのようなことが起こって欲しいと思い、
何とか不治の病を治そうと懸命になります。

治ることに対する可能性を
信じることは大切ですが、
それが執着になってしまうと
あまり良いことはありません。

なぜならば、
なんとか治さなくてはという思いとは裏腹に、
現実はそれとは逆方向に向かう場合が
ほとんどだからです。

そうなると、治すという思いと
だんだん悪くなる現実とのギャップに不安を覚え、
それが次第に焦りとなり、
さらには絶望へと変わってしまうことになります。

治る可能性を信じることは大切です。
良くなることへの希望を持ち続けることも必要です。
それは執着ではなく、
現実を現実として受けとめる
泰然自若さを伴った期待感です。

つまり、そこには治ることへの望みを持ちつつ、
死ぬかもしれないという現実を受け入れる
勇気も必要になってくるということです。

死を受け入れるということは、言い換えれば
「今」を精一杯生きていくということです。

その際、未来に対する何か目標があった方が、
より「今」を一生懸命に生きることができます。

ある患者さんは、帽子作りの職人であり、
残された時間で
注文のあった帽子をすべて作り上げるという
目標をもっていましたし、
またある患者さんは、残される子供のために
ビデオレターや手紙を残すことを目標にしました。

このような目標があれば、
今日一日を一生懸命に生きることは可能です。
たとえそのような目標がなくても、
自分を振り返ったり、
お世話になった人に
手紙を書くといったことをしながら
日々を過ごすことで
一日一日を大切に生きることもできます。

もちろん、そのようなことをしなくても、
窓から見える外の風景を眺めながら、
自然の雄大さに思いを巡らしながら
ゆったりと一日を過ごしても構いません。

病気を治すことが目的となってしまうと、
「今」に目を向けることが
できなくなってしまうため、
不安や焦り、無力感に陥ってしまう可能性が高く、
悠揚と「今」を過ごす余裕が持てません。

死という現実に直面したとき、
慌てふためき、混乱状態に陥らないためにも、
常日頃から、「今」を一生懸命に生きるという
生き方を意識しながら生活をするのも、
大切なのかもしれません。