ブログ:便利なことは不便なこと

私は年一度の3日間だけ
外部とのつながりを一切遮断する日があります。
それが夏休みです。

病棟の医師が私一人である関係上、
主治医と連絡が取れないという状況が許されません。
そのため昼夜を問わず、
常に連絡が取れる状態にしておく必要があります。
そのため携帯電話だけは持っています。

ラインだのフェイスブックだの
誰もがしている時代ですが、
私はいつでもつながるというのが嫌いで、
ラインなどはしていませんし、
当然スマホも持っていません。

メールはしているのですが、
職場にあるパソコンでしかしていませんので、
一歩外に出たらメールのやり取りは
できなくなります。

携帯メールもしませんし見ることもありません。
ただ稀にメールが入っていることはあるのですが、
気づかないことも多いので、まだましです。

とにかくすべてから私を解放し自由にして!
という気持ちが常にあるのですが
事実上不可能です。
ただ唯一それが可能になるのが
3日間の夏休みなのです。

今回も引き継ぎや非常時の対応も含め、
すべてを他の人にお願いし、
夏休みになった瞬間から携帯をオフにしました。

それまでは常に携帯が鳴るのを
気にしながらの生活でしたから
何もなくてもどこかスッキリ感がないのです。
でもこの3日間は本当に解放感がありました。

もし緊急の連絡が入ったらどうしよう
などという心配をしなくてもいいというのは
こんなにも清々しい気分になるんだなと
あらためてその解放感を実感しました。

携帯電話やポケベルがなかった時代は
固定電話でしか連絡がつきませんでした。

すぐに連絡したいときに連絡がとれないという
もどかしさはあるものの、
いつ連絡が来るか分からないというストレス状態に
一日中置かれるということはありませんでした。

どちらがよいかは人それぞれでしょうが
私は明らかに昔の方がよかったと思っています。

世の中がどんどん便利になり、
新幹線のお陰で東京大阪間の出張も
日帰りでできるようになりました。

しかし早さや便利さと引き替えに
ゆとりやくつろぎは確実に失われています。

昔は東京大阪間の出張は日帰りでは無理だったので
どうしても一泊せざるをえませんでした。
だからこそ、出張先の居酒屋で
ゆっくりお酒を楽しみ
くつろぐことができたのです。

ところが便利という名のもとに
出張も日帰りせざるをえなくなり
かえってゆとりがなくなり、
逆に疲れが溜まるという
皮肉な結果になってしまっているのです。

これではなんのための
早さや便利さなのかわかりません。

携帯やパソコンの弊害から逃れられた3日間は
そういう意味で心からくつろげた時間でした。

ただ、すでに携帯もパソコンもある生活に
こうして再び戻ってきてしまいました。
現代社会の中で生活をする限り、
これは致し方ないことだと思っています。

でもせめて1週間くらいは
夏休みが欲しいものです。
携帯もパソコンもない生活を
もう少し満喫したいです。

あ~来年の夏休みが待ち遠しい~

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