私たちの思考には様々なクセがあります。
そのひとつに原因志向の考え方があります。
何か問題があると、そこには必ず原因があるのだから、
その原因を突き止めれば、
問題の解決につながるという考え方です。

これはごく一般的な考え方であり、
どのような問題に対しても当てはまる
万能な問題解決法のように思われがちですが、
ここに大きな落とし穴があります。

それは、人間関係や心の問題に関しては、
原因志向は当てはまらない、ということです。
なぜならば、心の問題に関しては
その原因を特定することなどできないからです!

例えば、頼まれると断れず、
つい何でも引き受けてしまうため、
仕事が増え過ぎて困っている人がいたとしましょう。
このクライエントの悩みを
原因志向で解決しようとすると、
なぜ断れないのか、
その原因を追求することになります。

そのような人たちに、なぜ断れないのかとたずねると、
頼まれ事を断ると、
相手に不快な思いをさせてしまい
申し訳ないような気になってしまうとか、
相手に嫌われるのではないかと思うと
恐くなってしまうため、
本当は断りたくても断ることができない
といったことを言うのです。

さらに、なぜ申し訳ないとか思うんですかとか、
どうして嫌われるのを
恐れるようになったんですかとたずねると、
大抵の場合は幼少期の家庭環境や、
両親、特に母親とのかかわりの話が出てきます。

例えば、今まで優しかった母親が、
妹が生まれて以来、
そちらばかりに目を向けるようになり、
奪われた母親の愛情を取り戻すために、
いい子でいなくてはいけないと
思うようになったとか、
アル中で暴力ばかり振るう父親に
苦しんでいる母親から、
お前さえできなければ、
こんなお父さんとは絶対に結婚なんかしなかった
という言葉を聞いて、
自分がいるとみんなに迷惑をかけると
思うようになったというような、
そんな過去の辛い体験が思い出されることになります。

これらの体験が原因で、人の目を気にするようになったり、
自分に自信が持てなくなったりしたために、
人から言われたことに、
はっきりノーと言えない自分に
なったのではないかと考えるのでしょうが、
実際はそんな単純なものではありません。

確かに幼少期の家庭環境は、
本人の性格や考え方に影響を与えていると思いますが、
それはあくまでも数ある要因のひとつであり、
特定の原因などではありません。

もしかしたら、小さい頃にいじめられた経験や、
学校の先生にバカにされたこと、
高校入試や大学入試で失敗したことだって、
人目を気にするようになったり
自分に自信が持てなくなった要因かも知れません。

さらに、その人の性格や能力、
どんな友達や先生がいて、どんな人と出会ったか、
どんな体験をし、どんな環境にいたかによっても
その人の考え方は変わりますし、
自分に対する見方や評価も変わるので、
自分の体験や出来事だけで
全てが決まるわけでもありません。

つまり、心の問題というのは、
生まれてから今現在に至るまでの
様々な知識や経験に基づいて形成された、
その人の、ものの見方や解釈によって
生み出されるものであり、
機械の故障のように、
ある特定の原因によって起こるような
単純なものではないのです。

にもかかわらず、
私たちはなぜ原因を追い求めてしまうのでしょうか。
それは、原因を見つければ問題は解決できるという、
機械論の考え方にどっぷり染まっているからです。
機械のように
部品の組み合わせによって成り立っているものであれば、
壊れた部分を見つけ、
それを修理交換すれば問題は解決できます。

しかし、心の問題は
今述べたようにそうではありません。
様々な要因が複雑に絡み合い、
影響を及ぼしあっているため
特定の原因があるわけではないのです。
そのため、従来的な原因志向の考え方では
問題を解決はできないというわけです。