ブログ:池見陽先生のフォーカシングセッションを見て

先日、久しぶりに東豊先生と池見陽先生にお会いした。
お二人とも心理療法の大家であり、
池見先生はフォーカシングの第一人者、
東先生はシステムズアプローチの第一人者です。
二人と初めてお会いしたのは、
私が心療内科医として駆け出しの頃ですから、
かれこれ20数年くらい前になります。

今回は深尾先生が理事長を務めている
〈身〉の医療研究会に
コメンテーターとして声かけをして頂き、
この二人と懐かしい対面となりました。
今回は、東先生に
フォーカシングの実際を体験してもらい、
その体験をもとに
ディスカッションをしようという企画でした。

フォーカシングをひと言でいうならば、
体の内面に感じているちょっとした感覚に意識を向け、
それを言語化するという過程の中で、
気づきや変化をもたらすという心理療法です。

池見先生が、
フォーカシング初体験の東先生に対して、
「どんな感じがしますか」
「その感覚はどこに行きたがっているでしょうか」
といった、フォーカシング独特の問いかけを繰り返し、
それに対して東先生が、
自分の体に感じたままのことを言葉にし、
それを紡ぎ出してくといったやり取りが
ずっと行われていました。

面白かったのは、
喉のイガイガを感じると言った
東先生の言葉を皮切りに、
「罪悪感」という思いが湧き上がり、
最終的には、その思いを伊勢神宮の川に流すことで、
何とも言えぬ爽快感に至ったということでした。

たったこれだけで、長年?持っていた罪悪感が
一切消えてしまったとは思いにくいのですが、
そのあとの休憩時間で東先生と話をしていた中では、
心の奥底にあった罪悪感というモヤモヤした感覚が、
少なくとも今はなく、
ことのほかスッキリしたとのことでした。

池見先生は誰に対する罪悪感なのか、
どんな罪悪感なのかといった
内容的なことには一切触れず、
あくまでも東先生の中で
イメージされている感覚に寄り添いつつ、
必要な方向へ自然と歩を進められるよう、
ちょっと離れたところから
そっと導いているといった、そんな感じでした。

その後私がコメントをし、
それ対して池見先生や東先生が話をしたり、
会場からの質問を受けたりしました。

ここでもまた面白かったのは、
東先生の罪悪感に関する
スピリチュアル?な体験談でした。
東先生は、10年ほど前に原因不明の病気になり、
体が全く動かなくなり、
しばらく休職を余儀なくされていたようですが、
これは今まであれこれ
無茶なことをしてきた報いだと思い、
病気に感謝したというのです。
するとなぜか病気がよくなってしまい、
以来、東先生の人生観は180度変わり、
常に人には感謝するという思いを
持つようになったと言うのです。

それはセラピーのあり方にも
ずいぶんと影響を及ぼしたようです。
ある患者さんは、
左膝が痛い痛いと言っていたのだそうですが、
その人に対して
東先生が言ったことがとてもユニークでした。
「右膝は何の問題もなく動いてくれているのだから、
これからは毎日、右膝をさすりながら
『ありがとう』と感謝の思いを伝えてあげて下さい」
といった話しをしたところ、
次第に左膝の痛みが軽減し、
ついには左膝の痛みがなくなったというのです。

クライエントに対する介入の仕方は、
いかにも東先生らしい対応の仕方でしたが、
意味づけの話が昔と比べると大きく変わっていました。
以前は「ありがとう」とか「感謝」といった言葉は
あまり出てこなかったように思うのですが、
病気の経験をしてからは、
こうして患者さんのセラピーの中にも
感謝という言葉が
普通に出てくるようになったということは、
東先生の中で、
本当に人生観が大きく変わった証しだと思いました。

ただその一方で、
私個人としては納得できないところもありました。
東先生は自分の体験から、
先ず大切なのは、自分の家族を大切にすることであり、
それができなければクライエントの癒しや治療も
うまくいかないと言っていました。

でも、病気の体験をする前の、
無茶なことをしていた頃の東先生も
神業的なセラピーで患者さんに
劇的な改善をもたらしていたのです!
確かに家族を大切にし、
幸せな家庭を築くことの重要性は
十分に理解できるのですが、
だからといって、
一般の人に対するセラピーにおいても
それが絶対に必要なことだとは
言い切れない気がするのです。

また池見先生も20年来の病気を
今も持っていると言っていましたが、
暗に、自分は東先生のように
悟りの境地に達していないからなあ…
といった意味あいのことを言っていました。
多分、東先生が言うほどの強い感謝の気持ちを
みんなに対して持てているわけではないという
思いの表れかなと思いましたが、
それでも今までたくさんの人たちに
フォーカシングを施し、
多くの人たちを苦しみから救ってきたという
歴然とした事実があります。

確かに、全てのことに感謝できるようになれば、
一般のセラピーもうまくいく可能性が
高くなるかもしれませんが、
家庭を蔑ろにし、すべてに感謝の思いが持てなくても、
必ずしも、セラピーがうまくいかないとも
限らないのではないかと私は思います。

実際、私も…これはやめておきましょう。

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