これは、1972年のチェス世界選手権で、
タイトルを24年間保持してきた
ソ連チャンピオンのボリス・スパスキーを
破るとい快挙を成し遂げた
アメリカの天才チェスプレイヤーの
ボビー・フィッシャーのお話です。

私はチェスのことは全くわからないのですが、
映画では、フィッシャーの
奇行や不遜で傲慢な態度が目立ちました。
自分は盗聴されていると思っていたり、
一方的な条件を出し、それが受け入れられなければ
試合には行かないといった
全く自分勝手な行動をしていました。

しかし、天才であることには間違いありません。
天才と狂気は紙一重と言いますが、
フィッシャーもその典型だと思いました。

天才の思考は、私にはわかりようがありませんが、
でも、ある分野において
突き抜けた才能があるのは事実です。
記憶力がよいだけでは本当の天才にはなりえません。
やはり、人並み外れた想像力や奇抜なアイデアを駆使し、
絶対に不可能と思われるようなことを
成し遂げてしまうところに、
天才の天才たるゆえんがあると思います。

ポアンカレ予想という世紀の難問を解いた
天才数学者のペレルマンも、
普通の人には理解できない行動をとった人物です。
100万ドルの賞金の受け取りを拒否し、
人とのつき合いもやめ、
数学の世界からも離れてしまったのですから。

つながりや常識は、
社会の中で生きていく上にはとても大切ですが、
つながりやパターンの中で
落ち着いているがために行きづまり、
どうしてよいかわからなくなってしまったと時には
そのパターンを打ち破り、新たな可能性を見出せる、
その常識には一切とらわれない、
奇抜な発想ができる一握りの天才と呼ばれる人の力が
必要になるのではないでしょうか。

どちらがよくてどちらが悪いという話ではありません。
両者とも必要なのです。
どんなに平凡でも常識的な人がいなければ
世の中はまとまりがつかず、
混沌としてしまうだろうし、
どんなに異常に見えても、
天才のアイデアや発想がなければ
行き詰まった世の中を変えることはできないのです。
やはり両者は必要なのだと、
この映画を見ながら考えていました。